好きなことやって暮らしたいとかいうけど、好きなことってなんだろね。

豊かな暮らし

「好きなことをやって生きる。」

いい響きですね。

このブログでもよく「好きなことをやって生きる。」みたいなテーマを扱ったりするんですが、よくよく考えてみると、自分の好きなことってなんだろなあって思うわけです。

「毎日、好きなことやって暮らしたいわぁ。」っていう人にでも、「じゃあ、あなたの好きなことって何?毎日、何をやって暮らしていれば幸せなの?」って聞いてみると、みんな即答できるもんなのでしょうか?
僕はたぶん即答できる自信がないなあって思うんですよね。

「好きなことをやって暮らす」って言葉はなんだかいい響きだけど、毎日、それだけやって暮らしていれば人生充実して毎日楽しく過ごせるほど、ハマって好きなことってのが、どうも僕にはないような気がします。
で、「毎日、好きなことやって暮らしたいわぁ。」って言っている人もたぶん同じような感じじゃないのかなあって思うんですよね。

だって、人間、そんなに単純じゃないと思うんですよね。
たとえば、絵を描くのが好きだから、毎日、絵を描いて過ごしたい。という方がいたとしても、いくら絵を描くのが好きでも、おいしいご飯もたべたいし、恋人も欲しい、社会からも認められたい、たまには絵じゃなくて写真を撮ってみたい、とか人間って色々なやりたいことがあると思います。

あなたはゴッホのように、精神を病み、生涯で1枚しか絵が売れず、お金もなく、友人からも見捨てられ、それでも毎日、絵を描いて過ごせますか?ってことなんですよ。
僕には無理です。そういうことをできる人、そういう事態になるかもしれないことを恐れず、やりたいことに突っ走れる人ってホントにすごいな。と思います。

自分の人生の情熱を100%傾けられるほど好きなこと・やりたいことがある人ってのは、「自分が好きなこと・やりたいことって何だろう?」「好きなことをやって暮らしたいなあ。」なんて言わず、既にそれをやっているので、そうやって考えてしまう時点で、そういうタイプの人間ではないということになります。

それでも、「毎日、好きなことやって暮らしたい!」っていう場合、「好きなこと」「やりたいこと」を考えるのではなく、「好きじゃないこと」「やりたくないこと」を考えるといい。ということを神田昌典さんの非常識な成功法則という本で学びました。

ベティ・エドワーズという美術教師がいる。絵を教えることについては、天才的な人だ。
彼女は言う。
「親指を描きたいなら、親指を描こうとしてはいけません」
「親指を描くなら、親指の周りの空間を描きなさい」

 これに、私のプロセスを当てはめるなら・・・。
「やりたいことを見つけたいなら、やりたいことを見つけようとしてはいけません」
やりたいことを見つけるなら、やりたくないことを見つけなさい

これは僕は本当に大事なことだと思っていて、このプロセスをちゃんと踏んで、やりたいことに取り組まないと、せっかくの好きなことも嫌いなことになっちゃう可能性もあります。

「やりたいこと」のなかには、「やりたくないこと」が含まれているからである。
「会社を大きくする」ということだけを目標にしたとする。
すると、そのために嫌な客と付き合わなければならない。仕事優先となり、家族との休暇はほとんど取れない。
その結果、子供との会話がなくなっていく。本当は、家族を幸せにするために、と思ってやり始めた仕事が、家族をバラバラにしてしまう。
自分が望んでいた生活はこんなんじゃない、なんて後から騒いでも、もう元には戻らない。

「やりたいこと」のなかには、「やりたくないこと」が含まれているという考え方はすごく重要で、神田さんは会社を大きくするという目標を設定した場合の例を出されていますが、ほかの色々な場面でも、やりたいことだけを考えた場合の弊害が当てはまると思います。

そんなわけで、

好きなことをやって暮らしたい。
自分のやりたいことって何だろう?

なんて悩んでいる方には、まず『やりたくないことをリスト化』することから始めることをオススメします。

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