先日、TVタックルというバラエティ番組で、インターネットを規制すべきか?というテーマで、規制すべき派とすべきでない派に分かれて議論するというのがあったそうな。
で、規制反対派に、ホリエモンこと堀江貴文さんと、2ちゃんねる創始者のひろゆきこと西村博之さんが出演し、規制すべき派を「フルボッコにして論破したwww」と話題になっていました。
僕はこの番組を見ていなかったので番組の感想とか、ネットを規制すべき・すべきでないというテーマについて書きたいわけではなく、この手の光景ってテレビ番組やネットでもよく見るなあと思うわけです。
この手の光景ってのは、『誰もが「自分はこう思う!」という主張をし合うだけで、議論が空回し一向に建設的な話し合いにならない光景』です。
(まあ、さすがにネットを規制すべきってのは現実味がないし、はあ?なに言ってんの?感はあるんですけどね^^;)
今回の「ネットを規制すべき・すべきでない」というテーマだけでなく、世の中には色々な問題があります。
それらの問題について様々な立場、考え方を持っている人がいます。
・原発反対派・推進派
・死刑制度反対派・賛成派
・大阪都構想反対派・賛成派
などなど。
こういう意見が分かれがちなテーマを議論するときに、お互いが「自分はこう思う!お前の考えは間違っている!」という主張をし合うだけでは、議論が平行線を辿り、なかなか実りある議論にはできないんじゃないかな~と思うのです。
ディベートの重要性
「ディベート」ってのがあります。
簡単にいうと、今回のように意見が分かれるテーマを設定し、賛成派と反対派に分かれて議論するというものです。
ただし、「自分はこう思う!」という自分の意見とは無関係にどちらかの立場に立って議論を行います。
つまり、自分はネットは規制すべきでない!と思っているけれど、あえて規制すべき派に立って、規制すべきでない派と対立して議論することもあるわけです。
自分が分担した立場で、自分の意見を主張し、相手への反対意見をし、その根拠などを論じます。
もっとちゃんとした形式を取る場合、第3者によって勝敗を決定したりします。
参考)ディベートの方法
僕が大学生のときにもディベート授業がありました。
そのときのテーマは「女性専用車両の是非」というもので、自分の意見とは関係なく、それぞれの立場に立ってメリット・デメリットを並び立てながら相手を論破するために主張するわけです。
さらにそのディベートが1回終わると、次はそれぞれが逆の立場に入れ替わってもう一度同じテーマを議論するってのもあったかと思います。
で、そういうことをすると何が良いかというと、「物事を客観的に整理し、論理的に考えることができるようになる」ということだと思います。
教育ディベートの本質的な目的の一つにアーギュメンテーション(argumentation)教育があることについては、教育ディベート関係者の間で広く合意が形成されている[12]。アーギュメンテーションとは、議論過程(process of arguing)ないし議論学(study of argumentation)を意味し[13]、その教育には論理学と修辞学の要素を含む。このことから、教育ディベートはアーギュメンテーション理論の壮大な実験場であるともいわれる。
アーギュメンテーション教育の副次的効果としては、一般に以下のようなものが挙げられる[14]。もっとも、このような副次的効果を過度に強調することには懐疑的な立場もある[15][16]。
問題意識を持つようになる。
自分の意見を持つようになる。
情報を選択し、整理する能力が身に付く。
論理的にものを考えるようになる。
相手(他人)の立場に立って考えることができるようになる。
幅の広いものの考え方、見方をするようになる。
他者の発言を注意深く聞くようになる。
話す能力が向上する。
相手の発言にすばやく対応する能力が身に付く。
主体的な行動力が身に付く。
協調性を養うことができる。
参考)ディベート|Wikipedia
いまの教育現場でこういうディベートの授業ってやっているのかどうか知らないですが、もしやっていないのなら取り入れてみるメリットって大きいと思うのですがどうでしょ?
ネット時代は物事を俯瞰して論理的に考える能力が重要
いまのネット時代は情報を読み解く能力(メディアリテラシー)と同じくらい、物事を俯瞰して、色々な立場に立って、論理的に考える能力って大事だと思うのです。
で、その能力を養うのにディベートってのはかなり有効な方法じゃないかと。
ちょっと話がずれますけど、たとえば「食品添加物は危険」とGoogleで検索してみます。
中には「食品添加物は危険のウソ」とかの逆の立場のものもありますが、基本的に食品添加物は危険であるという主張のページが多く出てきます。
次に反対に「食品添加物は安全」と検索してみます。
ちょっと検索結果の雰囲気が変わったと思いません?
何が言いたいかというと、インターネットっていうのは能動的な割合が高いので、「食品添加物は危険だ」と思っている人は、「食品添加物は危険」などのそっち系のキーワードで検索し、出てきたページを見て「やっぱり食品添加物は危険なんだ!」と、どんどん一方の考えに傾いていく傾向が強いわけです。
とりあえず食品添加物は本当のところ危険なのか?安全なのか?ってのは置いておいて、このように一方の考え方に深く偏っていくってのはけっこう危険じゃないかな?と思うのですね。
自分の考え方・主義主張を持つことはとても大事だけど、それと同じくらい自分の考え方と反対の意見についてもちゃんと知る必要もあるんじゃないかと思うわけです。
テレビのバラエティ番組でもディベート形式を取り入れてみてくれないかな
話は戻りますけど、今回のTVタックルはテレビのバラエティとして見る分には痛快で面白かったのだと思います。
ですが、ホリエモンとひろゆきが「ネットは規制なんてすべきじゃない!」という立場にたって、規制すべき派の評論家や議員なんかを論破するってのはちょっと普通すぎやしませんか?と思うわけです。
なんていうか対戦相手の戦闘力が低すぎてまともな戦いにならない感じ。
これをあえて、たとえばホリエモンには規制すべき派にまわってもらって、ひろゆきと対戦させたりしたら意外と面白いんじゃないかと思います。
二人とも頭が良くて弁も立つので、いい議論になるんじゃないかと。
ホリエモンだったら頭も良いし、知識もあるので、規制すべき派に立ってもらったとしても、それなりに論理的で説得力のある主張をしてくれるんじゃないかな~。
知らないけど。
もちろん、これはディベートなので本来の主張とはあえて違う立場に立ってますという前提はちゃんと明示したうえで。
そっちの方が社会的にも意義のある番組になるんじゃないかと思うんだけどなあ。
どうでしょ?
コメント
自分も中学校の頃に似たような授業を受けました。
とても共感できる記事だったので
コメントさせてもらいました。
おーたんさん
ありがとうございます!
ディベートの授業って中学校でもやるんですね~。
共感していただけてうれしいです^^