年齢を重ねるほどに「無知の知」を意識するって大事だなあと思う件

徒然なるままに

先日、ツイッターのハッシュタグで「#実際に言われたクレーム晒す」ってのが流れててちょっと見てみたんですが、なかなかすごいクレームがたくさんあって、世の中には色々な人がいるものだなあと思った次第です。

「#実際に言われたクレーム晒す」まとめ
クレーム対策マニュアルにゃ書いてない予測不能なクレーム達追記:パクツイを少しずつ削除中

かくいう僕も今でこそ自宅でのんびりとお仕事していますが、携帯電話ショップというなかなかにクレームの多い仕事をしていた時代もありまして、そういえばあんなクレーム、こんなクレームあったなあ・・・と懐かしく思い出しておりました。

さて、関連してこんなまとめがありました。

面倒なクレーマーは圧倒的に男性高齢者が多い事が判明! 「お客様は神様じゃない」 もはや中高年は完全に害悪扱いwwww : はちま起稿
はちま起稿:面倒なクレーマーは圧倒的に男性高齢者が多い事が判明! 「お客様は神様じゃない」 もはや中高年は完全に害悪扱いwwww

ネタ元は日経新聞の記事で、「厄介な苦情、問い合わせをするのは圧倒的に団塊世代の男性が多い」と言い切ってます^^;
この日経の記事は会員限定で僕は読んでいないのでどんな統計を取っているのかは分かりませんが、たしかに僕の経験から思い出してみても、解決するまでに骨を折ったやっかいなクレーム案件ってだいたい中高年男性だった気がします。

年を取ると頑固になりがち

上記のクレーマーのくだりとあんまり関係なかったりしますが、なんか年を取ると人間って「自分が100%正しい・正義だと思い込んだり。」「人の話に聞く耳を持たなくなったり。」して、『頑固』になる傾向があると思いません?
女性にもその傾向があると思いますが、男性の方がプライドが高いのかその傾向が強い気がします。

なぜ年齢を重ねると頑固になる傾向があるのかは明確な答えは分かりませんが、以下のようなことが考えられるのかなと。

1:脳の機能的な劣化(認知症になると性格が変わったり、頑固になったりする。)
2:それなりの社会的地位を手に入れていることによるプライド
3:これまでの人生で得てきた様々な経験値が、逆に新しい物事への対処を難しくしている。(過去の経験に縛られている。)

この3つの中で、3番目の要因が大きい気がします。
これまで長く生きてきた中で様々な経験を重ね、それらの自分の経験値をかたくなに信頼する感じが周りから見ると頑固に映るということでしょうか。
教えて!gooに「面白いな。」と思った回答がありましたので、少し長いですが引用させていただきます。

ヒトに限らず、経験によって学習する生物は、子どもの頃はいろんな経験をするための活動をしますね。子猫があっちこっちに顔をつっこむようなことです。
経験によって、「こういうことをすればうまくいく」「こうすればうまくいかない」などを学習するので、経験を積むに従って、無駄な行動が減るわけです。

生物が暮らす環境が大きく変化しなければ、これでうまくいくわけですが、現代人を取り巻く環境は日進月歩で変化するので、環境が変化しなければ「経験によって得た行動様式」であるはずのものが「頑固」となってしまうのでしょう。
環境が大きく変わらない時代であれば、経験豊かな人の考え方は「長老の意見」として尊重されたと思います。

個体の一生の間に環境が大きく変化しない状況で進化してきたので、「経験に基づいて最適な行動様式を獲得する」という性質を持ったものが進化してきた、といえると思います。うまくいくとわかった行動様式を貫く「頑固」なものの方がうまく生きのびたのでしょう。

男性の方がより頑固である、というのは、必ずしもそうかどうか私にはわかりませんが、もしそうだとすれば、生物的な要因以外に社会的な要因が大きいのではないでしょうか。「上司」といわれる人には現代日本では男性が多いと思われますが、彼らはそれまでにたくさんの決断をしてきているので、その経験に基づいた行動を取る、ということが考えられます。どうして人(特に男性)は年をとると頑固になるのでしょう – 生物学 | 教えて!goo

人間を含む生物の目的は、「生き延びて子孫を残すこと」と言えます。
『これまで生きてきた中で色々あったけど生き延びてこれた=自分の経験値は優秀』
という風に無意識に考えてしまっているのかもしれません。

柔軟に変化することが大事

強い者、頭の良い者が生き残るのではない。
変化するものが生き残るのだ

上記はダーウィンの種の起源に書かれていると言われている一節ですが、自然環境だけでなく、私たち人間を取り巻く社会の環境もどんどん変化していきます。
そんな変化の中では過去の成功体験に縛られることなく、新しい物事を受け入れ、柔軟に変化していくことが大事なわけですね。

僕はいま36歳で、まだ中高年と呼ばれる年齢ではないかな?と思うのですが、それなりに色々な経験をしてきて、今のところそこそこ人生も上手くいっていると言えるので、自分の経験から来る考え・判断が正しいと思いがちで、頑固になるリスクを抱えているかもなあと思っています。

でも自分の知っていることや経験なんて実はそんなにたいしたことはなくて、知らないこと・経験していないことの方が多いし、知っていると思っていることでも実はそれほど分かってはいないのかもしれません。

常に謙虚さを失わずにいたい

プラトンの書いた「ソクラテスの弁明」という本に以下のような一節があります。

彼は何も知らないのに、知っていると信じている、
私は何も知らないが、知っているとも思っていない。

いわゆる「無知の知」「不知の知」ってやつですね。
ソクラテスは神様から「ソクラテスより知者はいない」と言われ、「本当かいな?自分より賢い人間はいるだろ?」と考え、賢いと評判の人々の元を訪れます。
確かにそれらの人々は知識・知恵がありましたが、それに奢って、「本当は知らないもの」に関しても、知ったかぶりをしていたり、本当はよく分かっていないにもかかわらず知ったような気になっていました。

そこでソクラテスは、「なるほど、たしかに自分はこれらの人々よりも知識・知恵はないかもしれないが、よく分からないものに関しては、分かったような気になっておらず、ちゃんと知らないということを自覚している。その点で自分の方が知者である。」と考えました。

年齢を重ねて、自分の経験、知識が正しいと思いがちなときにはこういう考え方って非常に大事なのではないかと思います。
30代半ばになってくると、たまに20代の若者と飲みに行く機会があったりすると、人生の先輩を気取って上から目線で人生のアドバイスをしがちになったりしますが、でも実際は30代の方が20代よりも優れているなんてことはなくて、逆に20代の若者から得られることの方が多かったりするわけです。

これから40代、50代と年齢と経験を重ねていっても、できるだけ「頑固」になってしまうことなく、常に謙虚な姿勢で貪欲に色々な人から学び続けていきたいなと思います。

まとめ

やっぱり記事の構成を最初に決めずにダラダラと書き始めてしまうと、何を言いたいのかよく分からんまとまりのない、尻つぼみな記事になってしまいますね^^;
とりあえず言いたいことは、『年を取っても常に謙虚に人から学ぶ姿勢を持ち続けて変化していきたいね。』ということでございます。

ではでは。

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